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『ろうか』に感謝します。

 

 スタッフの皆さんからいただいた花束です。花の間に氷を入れたり、長持ちする薬を入れています。とても心が踊ります。ありがとうございます。 >>続きを読む

生き地獄を失くしていくための知恵をください

 6月4日の夜、NHKの『クローズアップ現代+』を観た。老人ホームの実態が映されていた。当直の際、60人の高齢者に対し職員が3人だという。うち2人は外国人であり、1人だけ日本人であった。職員の少なさに、私は驚いた。1人の職員の周りにたくさんの高齢者がいて、職員はご飯を食べさせたりトイレを手伝ったりしていた。高齢者の中には、なかなか来ない職員に対し腹を立てている人もいた。ああいう環境の中で冷静なケアはできない。人間の生きられる場所じゃないと思った。でもこれは現実なのである。

 今の40・50・60代の人は、20~30年経つと、あのような生活をしなければならない。私も(ヘルパーさんが来なくなってしまったら、老人ホームにでも行こうかな)と思うときもあるが、ケアをしてくれる職員があまりにも少ないので、生きた心地がしないだろう。『生き地獄』といっても過言ではない。 >>続きを読む

安楽死とは・・・

 6月2日NHKスペシャルで『彼女は安楽死を選んだ』という、重い課題の番組が放送された。安楽死を選んだ彼女は40代の方で、重い難病を抱えていた。テレビで映された時は、パソコンを手で打ち話ができ、電動車いすで歩いていた。(なぜこのような、まだ障がいの軽い人が安楽死なの?)と、テレビを見ていて泣けてきた。

 彼女は英語ができ、アメリカの大学で勉強していた。「障害が重くなってきたら、オムツを取り替えてもらっても私は『ありがとう』と言えないの。」という彼女の言葉に、私は胸にナイフを刺された思いがした。

 (わかるなぁ。)と思った。『ありがとう』という言葉を言えなくなることは、私たちにとって辛いことである。私は1日に何回『ありがとう』という言葉を使っているだろうか。『ありがとう』という言葉で足りなくなったときには、『すみません』と言う。(『すみません』という言葉があって、良かったな)と安どするときがある。肩や首が痛い時には、本当に生きていることが辛くなる。 >>続きを読む

帝王切開の傷から涙が…

 大病院の色々な科を回って歩いていると、様々な医師や看護師たちに出会う。最近はお腹が痛いので、お腹を見せることが多くあり、看護師さんたちは私のへその下の傷を見つけ、「この切った痕はなんですか?」と何度も聞いてきた。私は自慢げに「帝王切開の痕です。私には子供が一人いるんです。」と言うと、医師も看護師も「あ!そうだったんですか!」と驚きの表情を浮かべる。私のお腹の傷は、勲章のようなものだ。

 私のような障害の重い者が出産するなんて、まだまだ医療関係者の多くは知らない。子供がいると聞くと、ほんのちょっとだけ敬語を使って話しかけるようになる。悲しい勲章だ。

 そういうことを考えている時、旧優生保護法の裁判の判決が下り、「法律は違憲だった」とするも、「国が違憲に対して保証する必要はない」「手術から20年の『除斥(じょせき)期間』を過ぎて、損害賠償を請求する権利が消滅した」と判断し、国が和解金として320万円を支払うこととなった。しかし、まったく納得がいかない。

 私は優生保護法という法律を知らないまま、子供を産んだ。誰も教えてくれなかったから良かったのかもしれない。私の息子は34歳になる。「20年経ったから」というのは言い訳でしかない。親や施設の職員に「子供を産んではいけない」と言われていた人もいた。 >>続きを読む

もう聞きたいことはないですか?

 私は今、病院のはしごをしています。皮膚科と形成外科と泌尿器科に通いつめて、検査をしたり爪をはがしたり色々な治療をおこなっています。痛み止めは毎日飲んでいます。病気になるのは慣れていますが、やはり病院の医師や看護師や放射線技師の人たちの、話しかけてくる言葉にちょっとイラつくことがあります。

 私の血管は細くて、注射をすることがとても大変です。看護師さんたちは「痛いの痛いの?もうちょっとだから、ガマンしてね。」と、5~6歳の子供に話しかけるように言うのです。私はもう歳ですから、(お年寄りにこのように話しているのかな?)と、いろいろ考えます。言葉はとても難しいです。

 医師と患者は、対等な人間として語り合うことが大切です。今、診てくださっている女医さんたちは、私に向かって普通に語りかけてくださることが嬉しいです。前にいた若い医師も、病気の検査のことを丁寧に話してくださいました。聞いたことには何でも答えてくださいました。そして最後に「もう聞きたいことはありませんか?」と、優しい口調でおっしゃったのです。(あぁ、この先生は神様だ。歳をとってもこの精神を忘れないでほしい。)と、祈る思いでした。「もう聞きたいことはありませんか?」と言ってくれる医師は、なかなかいないのです。「じゃあ、またね。」で終わります。 >>続きを読む

「病気でないから帰りなさい」と言われ続けて

 私は若き日から、巻き爪で苦しんでいます。母やヘルパーさんたちに足をがっちり押さえつけられ、爪を深く切ってもらっていました。するとしばらくは楽になります。でも時間が経つと、また爪の端が肉に食い込み、ウミをもち血が出てきます。本当に痛い時は声が出ません。とてもつらいので、整形外科の先生に相談して爪を剥いでいただいた時もありました。それを2回やりましたが、爪が生えてくるとまた同じ結果なのです。

 最近までは民間の巻き爪療法をおこなっていましたが、値段が張るので(この先ずっと行けるかな)と考え直し、先日は市立病院の皮膚科に行きました。すると医師から「爪が厚いから巻き爪になるのですよ」と言われ、おとといから爪を薄くする塗り薬を塗り、指にラップを巻いています。(本当にこれで良くなるのかな?)と不安がよぎりますが、でも初めて巻き爪の治療を受け入れてくださったことに、涙が出るほど嬉しかったです。

 以前、爪がくいこんでいるところからウミが出て血が出ていました。痛くてガマンできませんでした。ある病院に行き、「先生お願いですから、治療をしてください」と言いましたが、若い医師から「これは病気ではありません。治す方法はありません。帰ってください。」と言われました。一番重い症状のときに行っても、そんな言葉しか返ってこなかったのです。悲しいですね。 >>続きを読む

ゴールデンウイークの写真日記

ヘルパーさんと、ヘルパーさんの旦那さんとで、滝野すずらん公園に行ってきました。すずらん公園は息子が保育園に通っていた時、よく遠足で行ったところなので懐かしく思いました。

まだ寒かったので、チューリップが咲いていなかったことが少し残念でしたが、また来年行こうと思っています。

チューリップは無かったけれど、このお寿司は美しい花のようです。ヘルパーさんのご主人が作ってくださったのです。私は今までいろいろな手巻き寿司を食べてきましたが、これほど美味しいものはありませんでした。お寿司は少し小さくして一口で入るので、食べやすかったです。しょっぱさも甘さも酸っぱさも程よい味で、魔法のようなお寿司でした。 >>続きを読む

石狩市のために熱い想いで立ち上がった金谷聡さん

 長い休みが終わり、今日から仕事です。

 私が信頼している金谷聡さんが、石狩市の市議会議員選挙への出馬を決意しました。彼とは6年間のお付き合いになります。6年前に彼は施設に来てくださり、職員になろうか悩んでおりました。彼はそのとき「牧師になりたい」とおっしゃっていました。

 私は「牧師も介助者も同じじゃない?人を助けるお仕事よ。牧師さんは言葉によって人を助けます。介助者はケアによって体から神様の力を伝えるんですよ。だからここで働いてください。」という殺し文句で、彼を職員にしました。

 このたび選挙に出ると聞いて、とても嬉しかったです。金谷さんはとても心の優しい人であり、よく話を聞いてくれる人です。石狩市の特産品を海外にも積極的に拡販すると、公約に書かれています。

 金谷さんの力で、石狩市をバリアフリーの街にしてほしいと思います。車いすの人でも安心して旅行できる街にしてほしいです。ぜひ当選して、若い力で石狩市から北海道のエネルギーを世界に運んでいただきたいと思います。

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美智子さまに「同じお名前ね」と3度

 今年のゴールデンウイークは10日間休みだというが、私はちょっと考えて、3日間働くことにしてしまった。ちょっと後悔している。平成から令和に変わりマスコミはお祭り騒ぎだ。美智子皇后の美しい姿の映像がたくさん流れている。

 私は中学生と20代前半の頃に3回、美智子妃殿下と会ったことがある。なんで3回も会えたか、私が意図したことではなかった。養護学校に美智子妃殿下が来て、学校中を警察・SPが囲んでいた。学校に見学者の人が来た時はいつも、スリッパの音でパタパタしてちょっと騒がしかった。しかし皇太子と美智子さまが来られた日は、スリッパの音がまるでしなかった。突然教室のドアが開いて、たくさんの人が入ってきた。私は足で編み物をしていた。美智子妃殿下は、私が編んでいる毛糸を触り「きれいですね。編み物が好きなんですか?」とおっしゃり、私の名札を見て「まぁ、わたくしと同じお名前ね」とおっしゃり、手を握ってくれた。私はなにを言っていいかわからなくなり、しどろもどろになりつつ「私は元気です」と言っていたように思う。 >>続きを読む