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歴史が動いた日

11月5日と7日、舩後靖彦さんと木村英子さんが国会での初質疑をおこない、その様子が国会中継された。

木村さんはバリアフリーについて、具体的に質問していた。「障がい者用トイレから多目的トイレになったことは、なぜなのか」ということを質問していた。「多目的トイレとは、言葉的には美しいが、いろんな器具がトイレに付きすぎて、電動車いすなど大きいものは使いにくくなっている。介助者も入りにくくなっている」と言っていた。他にもいろいろ言っていたが、自分の経験を通して言う言葉には重みがあり、真実があり、ステキだった。

舩後さんは、「自分は健常者世界と障がい者世界の両方を知っている。インクルーシブ教育を進めていかないと、障がいのある者とない者が、互いのことをわからない世界で暮らし続けてしまう」というようなことを言っており、彼にしか語れない『教育』という重みを感じた。

2人が話しているのを見て、私は目が熱くなり胸が苦しくなった。(あぁ、やっと、障がい者も国会に入り、意見を言える時代が来たのだな)という思いで、嬉しくて涙が一粒出た。(あぁ、私も国会議員になりたいな)と思ってしまった。でもやはり、2人を応援する立場でありたいと強く感じた。 >>続きを読む

オリィさんの優しい微笑みの中から

 11月2日、吉藤オリィさんの講演会をおこなうことができた。はじめて北海道大学にある学術交流会館の講堂を借りておこなった。真っ赤な椅子がありステキな会場であった。その日は天気が良く、イチョウの葉っぱが風に揺れ、美しいライトが光っているような感じがした。

 オリィさんは美しい俳優のようであり、サスペンスドラマに出ていてもおかしくない人であった。厳しい顔もするが、障がい者の人を見る視線がとてもやわらかく、「僕と一緒に考えて生きようね」と言っているような表情を浮かべていた。札幌いちご会は42年間、様々な講演会をおこなってきたが、今までで一番のイケメンの人だと思った(笑)。

 不登校になり孤独になり、その中から這い上がってきて、おもしろい車いすを作ったり、分身ロボットを開発している。車いすは姿勢が360度自由自在に動くものであり、乗ってみたいなと心の底から思った。孤独は暗いイメージがつきまとうが、孤独だったからこそオリィさんはプラスにしていったのだと思う。 >>続きを読む

人は紅葉のように生きる

今日から11月、またひとつ歳をとる日が近づいた。来年はどんな楽しい企画を立てようかと考えている。講演会を何度やっても、ヘルパーになってくださる人がこない。私は講演会をなぜやるかというと、ヘルパーやボランティアを集めるためである。だからこそ人がたくさん来る、おもしろい企画を立てなければいけないと思っている。 >>続きを読む

ヘルパーさんの離職者を減らすためには

カテーテルのことは今まで飽きるほど書いてきましたが、在宅の障がい者の看護をやっている看護師さんに来て頂き、カテーテルについてのミニ講演会をやって頂いたほうがよいかと考えて、我が家でおこなうことにしました。

真鍋さんは、2008年に私が悪性リンパガンになり入院した際に、「付き添いがいなければ病院を出ていけ」と言われたとき、ボランティアに来ていた人が紹介してくださった方です。そのときは時給700円で看にきていただいていました。入院中のケアをやってくださった方の中には、700円ではバイトにならないと辞めていく人もいましたが、仕事の合間をみつけて何度もお見舞いに来てくださった人もおり、誰もいない時間のすき間を埋めてくださいました。真鍋さんは自分の仕事があるにもかかわらず、私のところへ頻繁に来てくださいました。私が高い熱を出したときも、ペットボトルに冷たい水を入れて、わきの下・股・首などに置いて体中を手際よく冷やしてくださいました。そういう方々が何人かいたので、私はまだ生きていてこのブログを書けるのです。 >>続きを読む

障がい者のビジネスとは

 突然、札幌いちご会の副理事長である永島さんが事務所にやってきた。どんな用かと思って話を聞くと、永島さんが働いている『共働事業所もじや』で作った年賀状の印刷を、頼んでくださる人がいないか?というビジネスをしに来たのである。なかなか永島さんの書く字はステキであり、多くの人に年賀状を印刷してほしいと思う。

 「どういうところへ営業に行っているの?」と聞くと、「福祉関係をしているところかな。」と言っていた。私は「もっとこれからは幅広く、『社会貢献に協力してくださいませんか?』というビラをつくって、年賀状や名刺の印刷を頼んでみてはいかがですか?」と言った。

 私は若き日、色々な会社や学校や団体に足を運び、寄附金を集めた。「出ていけ!」と追い出されるところが多かったが、たまには真剣に聞いてくださり、お茶まで出してくださる人もいた。そのようにして寄付金を根気よく集めた、という話を永島さんに話すと、目をキラキラさせて「へぇーすごいなぁ。勉強になった。」と言ってくれた。障がいのない人が行っても、なかなか受け入れてくれない所でも、障がい者が行けば受け入れる会社があるということだ。「これから雪が降るから大変だね。でもがんばろうね。」と言うと、「はい!わかりました!」と元気よく答えてくれた。 >>続きを読む

微笑みだけではなにも動きません

私は飛行機に乗ると元気が出ることを、またあらためて知った。飛行機から降りると、まったく別世界があり心が躍る。「飛行機が嫌いだ」と言って、機内で私の腕をがっちり握るヘルパーさんがいる。そんな時は「私がいるから大丈夫よ」と元気づける。高い所が大好きなんですよね。

徹子さんのお芝居が始まるのを待っているところです。アマンドという喫茶店で待っていました。甘いジュースで体の疲れをとっていました。ステキなお店でした。

 

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徹子さんの握手のパワー

 38年間、札幌いちご会と私を助けてくださっている黒柳徹子さんは、毎年私をお芝居に誘ってくださっており、今年も招待してくださった。しばらく行けていなかったので、(今年こそは行かないと徹子さんに私の顔を忘れられてしまう)と思い、行くことにした。

 カテーテルをしょって東京へ行けるかなと不安もあったが、妊娠8か月で東京での講演を頼まれた時のことを思い出した。「危ないから行けませんよ」と一度は断ったが、担当の先生が「大丈夫ですよ。東京へ行って大きなお腹を見せておいでよ。東京には優れたお医者さんがたくさんいるから大丈夫だよ。」と言ってくださり、その言葉に背中を押されて、私は行くことにした。

 悪性リンパ腫にかかった時も、1年後にはカザフスタンへ行ってきた。また医師に「先生、カザフスタンは遠いですよね。行っても大丈夫かしら?」と聞くと、「大丈夫大丈夫!小山内さんはね、好きなことをやったほうが元気が出るの。行っておいでよ。」とおっしゃってくださった。色々な薬を少しずつ出してくださった。先生たちは私の性格をよくご存知だった。 >>続きを読む

「ありがとう」と言わなくてもいいんだよ。

 毎日(ブログを書きたい)と思うのだが、事務所にいろいろな方が来たり私がどこかへ出かけたりして、なかなかブログを書く時間がない。短い原稿で人の心を打つ言葉が書けたらいいなと思うが、まだまだ私にはその能力が足りない。書きたいことはたくさんあるのだが、私は毎日引っかかることがある。

 あるドキュメンタリー番組で、「障がいが重くなったら『ありがとう』と言えなくなる。だから私は死ぬ。」と話す女性が、スイスで安楽死をおこなう映像を流した。あまりに衝撃的な内容に、放送直後は世間がその番組を作ったテレビ局を責めたり、自殺した彼女を責めたりしていた。しかし毎日たくさんのニュースが流れて、彼女のことは忘れていってしまっている。

 私自身、「ありがとう」と言えなくなったら本当に困る。彼女の気持ちは、心が痛いほどよくわかる。でも(生きる方法はなかったのかな)と考えている。答えが出なくてイライラしていた。 >>続きを読む

ハプニング!!

 こうしてブログを書くことが頭の脳トレになっていると、私はいつも言っている。しかし、(なにも書くことがなくなったらどうしよう)という恐怖感がいつもある。そういう心配をよそに、私は生きているだけでなにかが起きる。

 私が使用している環境制御装置のスイッチが壊れたので、修理に出した。戻ってきたスイッチは性能が良くなりすぎて、かぶせた布団があたっただけで反応してしまうようになった。ある日、忙しいヘルパーさんが当直を忘れて来られなかった。誰か来てくださると信じて、私はヘルパーステーションのサービス管理責任者に電話をかけようとした。しかし、いくら足の親指でスイッチを押そうとすると、焦りの気持ちもあってうまく電話をかけられなかった。なかなか電話をかけられず、(壊れてしまったのだろうか)と思え、私は足を止めて泣きそうになった。 >>続きを読む

ありのままの姿をみせること

 2008年に悪性リンパガンにかかってしまい、そこで医師との戦いがあったが、お互いに歩み寄って理解し合うことを学んだ。7か月の入院はつらいものであったが、秘書の女性がいつも私に寄り添ってくださり、笑わせてくれた。彼女は2年間で秘書を卒業し、結婚して出産している。本当は私の息子と結婚させたいくらいであったが、彼氏を連れてきたとき(これは負けた)と思い、諦めた。背が高くてイケメン俳優のような人であった。今になって、これでよかったのだということを理解している。

 彼女は秘書を辞めた後も、年に1度か2度遊びに来てくれる。私の悩みをよく聞いてくれる。どちらが若いかわからないほど、彼女はよく相手の心を読む人だ。息子さんが2人おり、上の子は『波音(なおと)』くんという。波の音とは、なんと良い名前だろう。 >>続きを読む