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ちょっと無視されても、笑えたことが嬉しい。

 最近の札幌は気温の差が激しくて、なにを着て出かけていいのかわかりません。風邪をひくことが怖くて、いつも緊張して天気予報を見ています。

 昨日、スーパーの隅で、お葬式や子供の七五三や学校に入る時のための保険のようなセールスをおこなっていました。私はどこでも顔をつっこみたい性格であり、お葬式は興味がなく、なにか良い保険があるのかと聞きたくなりました。そばに行き、「なにをやっているんですか?」と聞くと、3人の女性がいてビックリした顔をして「あなたはあちらに行ってください」というような手招きをして、お葬式のほうを指し示していました。私が「あちらはいいんです。私はこちらのことを聞きたいんです。」と言っても、私の言葉がはっきり聞き取れなったのか、その3人は戸惑っていました。

 私の言語障害が邪魔したのか、それはわかりませんでしたが、(障がい者の人たちに接したことのない人たちだな)と思いました。私は少し頭にきましたが、こういうことはしょっちゅうあるので、諦めてきました。抽選の箱がありましたが抽選もさせてもらえませんでした。 >>続きを読む

幸せな時間

 若き日から私は、コーヒーの匂いが大好きであった。喫茶店の前を歩いていると、足が止まってしまっていた。しかしなぜか、コーヒーの味には納得できなく飲めなかった。スウェーデンにいる友達が、「あんな泥水どこが美味しいのかね?」と言った言葉を、今も忘れることができない。

私は出産する前、本の原稿を書く時にはコカ・コーラとオロナミンCを飲んでいた。(なんて体に悪いものを飲んでいたのか)と反省しているが、元気のいい子供が産まれたので安心している。子供を産んでからは、コカ・コーラの匂いを嗅ぐと吐き気がした。オロナミンCも嫌いになった。

 (困ったな、原稿はもう書けないのかな)と思った。しかし紅茶を飲むと少し気分が良くなった。また、仲の良い友達がグランドホテルでご飯をごちそうしてくださった後、コーヒーが必ず出た。そのコーヒーを飲むと、完全に今までのイメージとは違う味がした。

 (こんなに美味しいものはない!)と思い、友達と別れてから、秘書ともう一杯コーヒーを飲みに行った。「このホテルのコーヒーは美味しいね!」と言うと、秘書は「そうね。小山内さんはこのコーヒーを飲むために働くのね」と言った言葉が忘れられない。 >>続きを読む

初恋サラダ

 今私は、春の野菜に凝っています。先週もスーパーの店先に、真っ赤ではちきれるようなトマトがあり、『初恋トマト』と書いてありました。私は(これだ!これを買わなきゃ一生損する)と思い、買うことにしました。

 アスパラも美味しくなってきています。レタスと玉ねぎと、梅干をみじん切りにして入れました。生ハムをバラの花のように置いていただき、食べました。色がものすごく綺麗になり、食べるのがもったいないような気がしました。トマトの味も、甘いフルーツを食べているような感じでした。ドレッシングも、オリーブオイルをベースにして野菜やチーズなどを入れ、作っています。とても手がかかったサラダです。

 私の指示で、ヘルパーさんと一緒にそのサラダを作れた時間に、感謝します。生きていく喜びというものは、小さなところから探すものだと、サラダに教えられました。

 ヘルパーさんと、ちょっとだけ味見をしてみました。「私も今晩これを作ろう!」と、ヘルパーさんが言いました。私のおかずは、よくヘルパーさんに真似されているのです。光栄なことです。

 またなにか、美味しいサラダを考えようと思っています。皆さんも知恵を出し合い、美味しいものを作ってください。 >>続きを読む

私の韓国の家族です

 私の家族です!?こんなに家族がいると、いいですね。 >>続きを読む

母の背中の温もりと、山菜の香り

 スーパーに行くと、春の野菜がたくさん並んでいる。太いウドが売っていたので買い求め、ウドの皮をきんぴらごぼうにし、中身は酢みそ和えにした。皮をきんぴらにできることをヘルパーさんが教えてくれて、とても嬉しかった。

 山菜が増えてくると、私が5~6歳のころ和寒で、母におんぶされて家の周りで山菜を取ったことを思い出す。私は母の背中で、「あ!ウドがあったよ!」「あ!わらびもあった!」「あ!行者ニンニクがあった!」「フキもね!」と、足指をさして母に山菜が生えているところを教えてあげた。とても楽しいゲームのようで、とれたての山菜はとても美味しいことを学んだ。

 そして母は、木の箱を持ってきて、わらびやフキなどを丁寧に箱の中に並べて、その上に塩をふって、またフキやわらびを上に重ねて塩をふり、そうして交互に入れていた。そうすることで冬も食べられるようにしていたのだ。母の背中の温もりと甘い山菜のにおいを、スーパーの前で感じることができた。 >>続きを読む

真剣に生きているとモテるのよ!

こんな夜更けにバナナかよ』の映画は、10億円以上の興行収入だそうです。

障がい者を主人公にした映画で、こんなに人が入ったのは大ヒットだと思います。

地方から連絡があり、「主人公の鹿野さんの周りにいたボランティアは、札幌にいるのですか?紹介してください。」と言われ、私はちょっと悪いですが笑いたくなってしまいました。(笑うことをこらえましたけれど。)

障がい者の方々は、現在思うように暮らせないことに苛立ちを覚え、鹿野さんの本や映画を見て、札幌には優しい人がたくさんいるのだろうと、錯覚したのかもしれません。

鹿野さんが活躍していたころは、1980年代で、ボランティアを呼びかけると、川の流れのように人がやって来た時代でした。

鹿野さんを取り巻く障がい者やボランティアは、自立生活運動なのか恋愛運動なのかわからない面白い世界だったと思います。

私もイケメンボランティアがあふれるほどいたので、片思いの人はたくさんいましたが、必ず美しい女性のボランティアにとられたものです。

恋愛と言うものは弱肉強食だなと思います。大人になっていく階段として、とても良かったと思います。 >>続きを読む

政治の経験が邪魔している議員たち

 昨日は、朝起きるとちょっとめまいがした。どうも体が事務所に行くことを拒否しているようだった。吐き気もして、こういう時に無理をすると、なにか大きな病気にかかることを経験していたので、事務所を休んで家で原稿を書いていた。

 原稿を休んでいる時、テレビで国会中継を見た。厚生大臣のお粗末な答弁にあきれ返り、自分の考えなどなにもなく、国会の椅子をテーブル代わりにし、まとめた書類を見ながら、お役人の言うことを聞いている。自分で考えなくてもできるのだなということを見せつけられた。あれぐらいの程度なら、私にもできるのではないかと思った。

 今の政治も役所も、力のある人が少ない。自分の思いで動ける人が、何人ぐらいいるのだろうか。北海道は、やっと知事に立候補する人が決まった。ちょっとなさけない展開であった。私は個人的に、鈴木さんがどんな考えをもっているのか、もっと知りたいと思う。 >>続きを読む

青空の輝きの中で

 最近の私のブログには、「眠たい」という言葉が何度も出てきているそうだ。友達に「小山内さん、なんでそんなに眠たいの?歳をとると眠くないのよ?眠るということにはエネルギーがいるの。それだけ小山内さんは、生きるエネルギーがあるのよ」と言われた。

 私は『眠ることにはエネルギーがいる』と聞いたことはあるが、私にエネルギーがあるとは思っていない。去年12月、東京で開かれた浅野史郎さんの出版パーティーから帰ってきてから、体が疲れて一日中眠たくなってしまったのである。

 朝ヘルパーさんにカーテンを開けてもらう音で、地獄に落ちるような気持ちになっていた。でも先週から、夜のテレビもちょっと見られるようになってきて、頭の回転が速くなってきているようだ。疲れをとるまでに、2か月間もかかった。東京へ行ってから2か月間もかかったのだから、もう外国には行けないなと思っている。

 毎日、小説を書いているので、現実が小説の中に入り込んでしまい、どちらが本当かわからなくなっている。本になるかどうかはわからないが、とにかく今思いついたことを実行する、ということが大切だと思う。私はあと生きていられるのも、あまり長くはないだろう。だから、やりたいことはやっておかなければいけない。 >>続きを読む

喜び探し

 平凡な生活の中で、あまりブログのヒントは見つかりません。私は2か月くらい前から現在も、一日中眠くて困っています。朝も夜も、テレビを見る時間を惜しんで寝ています。夜と当直のヘルパーさんの交代の時には、寝てしまっている時があり、足元にあるリモコンを押し間違えることが増えてきています。どうしてこんなにも眠たいのかなと考えています。今の幸せは、お風呂に入っている時と、ストレッチ体操をおこないヘルパーさんに寝かせていただき、頭と枕がくっつく時に、ホッとして(あぁ!これから眠れるのだ)と心が躍るのです。

 退職したら、こういう生活ができるのかなと、ふと思う時があります。でもやはり、私がおとなしくなってしまうと、福祉サービスの提供が後退してしまう恐れがあります。だからこそ、いちご会をやめられないのです。息を引き取った時が退職の時かもしれません。 >>続きを読む

42歳になった、札幌いちご会

今日は、札幌いちご会42年目の誕生日です。今日は事務所がお休みであり、私の家の静かな空間で、このブログを書いています。最近、あと何年いちご会をやっていけるかなと考えてしまうのです。周りの知り合いの人たちからは「定年退職した」と書かれた年賀状がたくさんきます。うらやましくもあり、残された人生なにをするのかなと考えています。私もまだまだ、やらなければいけないことがたくさんあります。でもちょっと、今は体がつらいです。心に鞭を打って、パソコンに向かっています。

いちご会の42年間は、夢と希望と失敗の繰り返しでした。いちばん大切にしてきたことは、言葉で言っても社会は変わらない、ということです。障がい者の生き方を頭でイメージし、やってみることにしました。アパートや一軒家を借り、障がい者が地域で生きるためには、どれくらいのケアがあれば生きられるのか、生活費はどれくらいあればいいのか、ということなどを記録に書き本を作りました。自費出版でしたが、その頃は障がい者の自立生活が珍しかったので、本がたくさん売れ、次の運動資金になったのです。 >>続きを読む