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選挙に行く恐怖

 今日、不在者投票に行ってきた。前の選挙では、車いすを押す人が素人であり、力づくで押すことにより私は車いすから落ちそうになった。また、選挙で投票する人の名前を言うと、「○○さんですね?」と部屋中に響くほどの大きな声で復唱された。

 私は選挙に立候補したいが、選挙に行くのは恐怖である。今回は、秘書に車椅子のシートベルトを確認してもらい、立候補者の名前を書く係の人に、「大きな声で言わないでくださいね」と確認をとった。「わかりました」と言ってくださったので、(今回こそ安心できる)と思い安堵した。

 しかしやはり、『不在者投票をなぜするのか』という理由に○を付ける欄があった時、「どうしてですか?」と私の方を向かずに秘書の方を向いて話した。

 また、投票したい人の名前を言うと、全部ひらがなで書いた。「なぜひらがなですか?ここに字が書いてありますから、漢字で書いてください」と私が言っても、「いや、あなたがよくわかるように、これでいいでしょう?」と言い、全部ひらがなで書いた。

 私は、また嫌な思いをした。はっきり「漢字で書いてください」と言っても聞いてもらえない。こんな状況を皆さん、どうお考えですか? >>続きを読む

議員になりたかったけれど・・・

 今の北海道の選挙は、あまり盛り上がりがない。会う人会う人に「どの人に入れたらいいのかね」と聞くたびに、投票する人の悩む姿を見て、(困ったなぁ)と考えていた。私は若い時から、「選挙に出ないか?」と何回も言われていた。そのたびに体力不足と能力不足を考え、断り続けていた。しかし最近、重い障がい者の友達が「小山内さん、私たちこれからどうやって生きていったらいいか、わからないわね。ヘルパーさんが来なくて、心が震えて眠れない時もあるの。小山内さん、長生きしてヘルパーさんを集める方法を考えてね。私も考えるから。」と言われた言葉が心に響いた。

 人間には知恵がある。強く生きていく方法がある。そう私はいつも自分に言い聞かせていた。選挙に出る人たちの公約を読んでも、高齢者・障がい者が安心して生きていくためのことが書かれていない。なにか、ぼやーっとしている気がする。 >>続きを読む

フリージアの香りに誘われて

 スーパーに行くと、様々な花が売っている。どれもこれも欲しくなってしまう。最近、なにか悲しく思う夢をみる。母がいるのだが、姿が薄く見える。消えそうになっている。(母さん、なんであなた、薄くなってきたの?もう私は一人で生きなさい、ということ?おばあちゃんにもなるんだから、母さん、母さんと言っているのはおかしいのよ、ということ?)

 花売り場を黙って見ていると、フリージアの花が見つかった。目に留まって、離せなくなった。これは母に買っていかなければいけないと思ったからだ。母はよく、フリージアの花を買ってきて、「母さんはね、この花が大好きよ。香りがいいのよ。私が死んだなら仏壇にあげてよね。」と、よく言っていたからだ。ちょっと高かったが、買わなきゃ、もっと母が薄くなって消えてしまうかもしれないという、恐怖感におそわれた。母が私になにを言おうとしているのか、わからないが、薄くてもいいから母の姿とは一生夢で逢いたい。

 NHKの朝の連続テレビ小説『まんぷく』は大ヒットしているようだ。でも、「武士の娘です」と言っていたおばあちゃんが死んでしまう予告が映っていた。私はあの美しく面白いおばあちゃんは、死んでほしくなかった。明るく愚痴を言いながら終わってほしかったな。でもあのドラマはすごくおもしろかった。今度はどんなドラマが始まるのか、楽しみである。 >>続きを読む

人間の知恵から生まれる喜び

 日々たくさんの出来事があり、ブログを書くということを忘れてしまうときがあります。(これ書こうかな)と脳に言い聞かせていますが、(あれ?何書くんだったっけ?)と考えてしまいます。

 いちご会のヘルパーステーションの責任者が、結婚し根室へ行くことになりました。とても残念ですが、やはり人生は、やっておけばよかったと悔やんでも元には戻らないので、私が行くことを勧めました。その人が幸せになれば、神様が見ていて、そのうちいちご会に新しいヘルパーが来るでしょうと考えています。

 彼女は10年前、私の秘書をおこない、その前は精神病院や老人グループホームで働く経験をしていました。あらゆる経験をしていたので、とてもケアが上手い人です。好きな人のそばに行き幸福を感じることは、人にとって一番大切な時間だと思います。その時間を過ごしてから、彼女はまたなにをするのかが楽しみです。きっと、ずっとケアに関わる仕事をすると信じています。 >>続きを読む

ちょっと無視されても、笑えたことが嬉しい。

 最近の札幌は気温の差が激しくて、なにを着て出かけていいのかわかりません。風邪をひくことが怖くて、いつも緊張して天気予報を見ています。

 昨日、スーパーの隅で、お葬式や子供の七五三や学校に入る時のための保険のようなセールスをおこなっていました。私はどこでも顔をつっこみたい性格であり、お葬式は興味がなく、なにか良い保険があるのかと聞きたくなりました。そばに行き、「なにをやっているんですか?」と聞くと、3人の女性がいてビックリした顔をして「あなたはあちらに行ってください」というような手招きをして、お葬式のほうを指し示していました。私が「あちらはいいんです。私はこちらのことを聞きたいんです。」と言っても、私の言葉がはっきり聞き取れなったのか、その3人は戸惑っていました。

 私の言語障害が邪魔したのか、それはわかりませんでしたが、(障がい者の人たちに接したことのない人たちだな)と思いました。私は少し頭にきましたが、こういうことはしょっちゅうあるので、諦めてきました。抽選の箱がありましたが抽選もさせてもらえませんでした。 >>続きを読む

幸せな時間

 若き日から私は、コーヒーの匂いが大好きであった。喫茶店の前を歩いていると、足が止まってしまっていた。しかしなぜか、コーヒーの味には納得できなく飲めなかった。スウェーデンにいる友達が、「あんな泥水どこが美味しいのかね?」と言った言葉を、今も忘れることができない。

私は出産する前、本の原稿を書く時にはコカ・コーラとオロナミンCを飲んでいた。(なんて体に悪いものを飲んでいたのか)と反省しているが、元気のいい子供が産まれたので安心している。子供を産んでからは、コカ・コーラの匂いを嗅ぐと吐き気がした。オロナミンCも嫌いになった。

 (困ったな、原稿はもう書けないのかな)と思った。しかし紅茶を飲むと少し気分が良くなった。また、仲の良い友達がグランドホテルでご飯をごちそうしてくださった後、コーヒーが必ず出た。そのコーヒーを飲むと、完全に今までのイメージとは違う味がした。

 (こんなに美味しいものはない!)と思い、友達と別れてから、秘書ともう一杯コーヒーを飲みに行った。「このホテルのコーヒーは美味しいね!」と言うと、秘書は「そうね。小山内さんはこのコーヒーを飲むために働くのね」と言った言葉が忘れられない。 >>続きを読む

初恋サラダ

 今私は、春の野菜に凝っています。先週もスーパーの店先に、真っ赤ではちきれるようなトマトがあり、『初恋トマト』と書いてありました。私は(これだ!これを買わなきゃ一生損する)と思い、買うことにしました。

 アスパラも美味しくなってきています。レタスと玉ねぎと、梅干をみじん切りにして入れました。生ハムをバラの花のように置いていただき、食べました。色がものすごく綺麗になり、食べるのがもったいないような気がしました。トマトの味も、甘いフルーツを食べているような感じでした。ドレッシングも、オリーブオイルをベースにして野菜やチーズなどを入れ、作っています。とても手がかかったサラダです。

 私の指示で、ヘルパーさんと一緒にそのサラダを作れた時間に、感謝します。生きていく喜びというものは、小さなところから探すものだと、サラダに教えられました。

 ヘルパーさんと、ちょっとだけ味見をしてみました。「私も今晩これを作ろう!」と、ヘルパーさんが言いました。私のおかずは、よくヘルパーさんに真似されているのです。光栄なことです。

 またなにか、美味しいサラダを考えようと思っています。皆さんも知恵を出し合い、美味しいものを作ってください。 >>続きを読む

私の韓国の家族です

 私の家族です!?こんなに家族がいると、いいですね。 >>続きを読む

母の背中の温もりと、山菜の香り

 スーパーに行くと、春の野菜がたくさん並んでいる。太いウドが売っていたので買い求め、ウドの皮をきんぴらごぼうにし、中身は酢みそ和えにした。皮をきんぴらにできることをヘルパーさんが教えてくれて、とても嬉しかった。

 山菜が増えてくると、私が5~6歳のころ和寒で、母におんぶされて家の周りで山菜を取ったことを思い出す。私は母の背中で、「あ!ウドがあったよ!」「あ!わらびもあった!」「あ!行者ニンニクがあった!」「フキもね!」と、足指をさして母に山菜が生えているところを教えてあげた。とても楽しいゲームのようで、とれたての山菜はとても美味しいことを学んだ。

 そして母は、木の箱を持ってきて、わらびやフキなどを丁寧に箱の中に並べて、その上に塩をふって、またフキやわらびを上に重ねて塩をふり、そうして交互に入れていた。そうすることで冬も食べられるようにしていたのだ。母の背中の温もりと甘い山菜のにおいを、スーパーの前で感じることができた。 >>続きを読む

真剣に生きているとモテるのよ!

こんな夜更けにバナナかよ』の映画は、10億円以上の興行収入だそうです。

障がい者を主人公にした映画で、こんなに人が入ったのは大ヒットだと思います。

地方から連絡があり、「主人公の鹿野さんの周りにいたボランティアは、札幌にいるのですか?紹介してください。」と言われ、私はちょっと悪いですが笑いたくなってしまいました。(笑うことをこらえましたけれど。)

障がい者の方々は、現在思うように暮らせないことに苛立ちを覚え、鹿野さんの本や映画を見て、札幌には優しい人がたくさんいるのだろうと、錯覚したのかもしれません。

鹿野さんが活躍していたころは、1980年代で、ボランティアを呼びかけると、川の流れのように人がやって来た時代でした。

鹿野さんを取り巻く障がい者やボランティアは、自立生活運動なのか恋愛運動なのかわからない面白い世界だったと思います。

私もイケメンボランティアがあふれるほどいたので、片思いの人はたくさんいましたが、必ず美しい女性のボランティアにとられたものです。

恋愛と言うものは弱肉強食だなと思います。大人になっていく階段として、とても良かったと思います。 >>続きを読む