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心は暖かかったのに?

 去年、札幌市は「障がい者が入院した時、ヘルパーを付けてよくなる」と笑顔で語っていました。私はその言葉を聞き、涙が出るほど嬉しかったです。首の手術を3回受け、悪性リンパ癌になり、看護師さんたちのケアがどれだけ貧しいか、体で感じとったのです。しかし、看護師さんによっては、「小山内さん、我慢しないでなんでも私たちに言ってくださいね」とおっしゃってくださった看護師さんも、たくさんいました。でも、癌になった時の夜中、鼻のてっぺんに髪の毛が一本くっついてしまい、かゆくて眠れなくなりました。足でナースコールを押そうか押さないか悩みました。(気持ちのいい看護師さんならいいけどな。でも、「なんでこんなことで呼ぶの」と言われないかな)と怯えていました。そんな時、やはり手を使えない自分を呪いました。悔しくて涙が出ました。その涙が髪の毛を流してくれました。(あぁ、この涙は神様の手だ)と思ったものです。

 障がい者がなんでも「して、して」と頼むと、甘えているのではないかと責められる時もあります。でも、髪の毛一本で何時間も苦しみますか?私は病院にヘルパーさんが来てくださる運動を、35年以上前からおこなっていました。そのたびに、うまくいきませんでした。

 1回目の首の手術の時は、黒柳徹子さんが「ヘルパーさんに使ってくださいね」と、たくさんの寄付金をくださいました。私の心のお母さんのようです。そんな風に苦しんでいる人たちがたくさんいることを、知ってください。

 東京の障がい者団体の人たちは、厚労省へ行き、入院中のヘルパー派遣について死に物狂いで戦っています。私も(彼らの応援をしたいな。一緒に叫びたいな)と毎日考えています。

 厚労省はいまだに「区分6でありコミュニケーション手段としてのみヘルパーを使っても良い」という答えです。この言葉は何十年間使えばいいのですか。どうしたなら苦しみを分け合え、幸福になれるのか。人間は考えられる力があるはずです。

 東京で戦っている人たちを、私はどう応援したらいいのか、考えています。もう病院で泣くのは嫌です。今は首と肩が痛くて、(また入院かな)と考えると心が震えます。でも4月になったら真剣に病院へ行こうと考えていました。この怒りをどこへぶつけていいのか、わかりません。でも少ないヘルパーさん達は、身を粉にして私のケアをしてくださっています。こういう人たちがいる限り、私は足に夢をもって生きなければいけない、笑顔をもって話さなければいけない、と言い聞かせています。

 札幌市の福祉課の人たちと市議会議員の人たちからも、厚労省に障がい者の入院ケアをおこなうよう、伝えていただきたいと思います。明日も楽しく生きていきます。

 

 怒りをこめて、鉛筆をかんでいます。歯と鉛筆、どちらが先に折れるかしら?この顔では、もうお嫁にはいけませんね(笑)