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ひらめき

 コメントをくださったお二人さん、ありがとうございます。今、私は障がい者の不妊手術の問題についての取材で、忙しいです。あまり嬉しい話ではありません。

 私は16歳の時、木村浩子さんをテレビの画面を通して見て、「私も子供を産むんだ」と心に誓いました。浩子さんがいなければ、私は障がい者でありバージンだったと思います。恋愛も結婚も経験することはできなかったと思います。(浩子さんができたのだから、私にもできるはずだ)と自分に言い聞かせていました。でも、もう一人の私が「浩子さんはあなたとは別よ。上手に絵を描いてお金を得ているのだから。あなたにはできるわけないでしょ」と、ささやいていました。2人の自分が戦っていました。多くの障がい者はこのような思いで生きているのでしょう。悲しいですよね。むなしいですよね。自分の思いのままに生きていかなければ、一度しかない人生もったいないです。石ころが土の上を転がって、泥まみれになります。でも、雨が降って石に輝きが出てきます。そういうことを、何万年も繰り返しながら、石は宝石になるのだと思います。人間も同じですよね。何万年も生きられないけど、長生きして自分の思いを吐き出してください。

 昨日、NHKの番組に山中先生が出演しており、アルツハイマー型などの認知症を治す薬を開発したと聞きました。知的障がい者と思われる小さな子供が、薬によりお母さんと向き合って話ができるようになった、という素晴らしいニュースもありました。「障がい者なんて、いなくてもいい」という人もいますが、薬により障がい者・健常者という壁は無くなるのかもしれません。最終的に誰が障がい者なのか、誰が障害のない人なのか、わからなくなってくるのが、これからの医学の力だと思います。

 私にもし奇跡が起こって脳性まひが治ったら、なにをしようかといつも考えています。山中先生は、一つの研究になかなか答えが出なくて悩んでいた時、子供をお風呂に入れて自分がシャワーを浴びていると、出なかった答えがハッとひらめいたそうです。私はその言葉に力強さを感じ、山中先生の性格の良さを強く感じました。「人はボーっとしている時が大切であり、その時ひらめきが生まれる」とおっしゃっていました。私は山中先生ほど頭が良くありません。しかし自分が生きている時、パーっとひらめくことがあるのです。それをどうしたらできるのか、ということを考えてきました。

 山中先生、私は肩と首が痛いです。脳の信号でなんとかこの痛みだけでも止める薬を開発してくださることを、祈っています。社会が少しでも良くなるよう、私のひらめきは止めないように生きていきます。