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あきれかえってしまった

 最近は毎日のように、障がい者雇用水増し問題が新聞を賑わせている。私はそれを知ったとき、(もう腹を立ててもしょうがない。時間がたてば皆忘れて同じことを繰り返すのだろう)と、心から冷たい血が流れてくるようであった。

 障がいがあっても働きたいと、私は常に考えてきた。学生の時、(大人になったら、なにかで働いて食べていかなければいけない)と思い、両親に頼んでカルチャースクールに通った。絵や習字や生け花、洋裁や編み物、と色々なところへ行って自分になにができるかを試してみた。中途半端にはできるが、周りの人たちから「足でよく描くね、えらいね。上手だわ」と言われても、私はやはり(足を使ってやるから褒められているだけなんだ。これではお金はもらえない)と思った。

 もっと広い世界を知りたくて、キリスト教の教会に行った。そこで日曜学校の先生をやった。子供達に足指で鉛筆を持たせ、「さぁ自分の名前を足で書いてごらん」と言って、書いてもらった。ちょっとずるい子は手を使ってしまう。「手を使ったら失格!」と言うと、子供たちはしょげてしまう。中には足指で上手に自分の名前を書く子もいた。私は足で鶴を折り、その子にあげた。子供達は目をくるくる回し、「お姉ちゃんありがとう!」と言ってくれた。(あぁ、こういう仕事だったらできるかもしれないな。でも月給にはならないな)と考えた。牧師さんが私に「宣教師にならないかい?」とおっしゃった。(あぁそれなら月給もらえるな!)と思い、真剣に聖書を学んでいた。でも宣教師さんに「あなたはなぜ宣教師になったの?」と聞くと、「失恋したからよ。悲しくて、神様を愛することにしたの」と答えられ、私は(そんなことでなったのか)とがっかりして、宣教師になるのをやめることにした。

 やはりいつも私が書くことだが、高校生のとき老人ホームに行きお年寄りの話し相手をしたり手紙を書いてあげたことが、いちばん生きていることを感じた。足指でタイプライターを打ち手紙を書いてあげると、お年寄りたちの子供さんが会いに来てくれる確率が高くなったからだ。私は(してもらうことばかりしかできない)と思っていた。でも、なにか人にしてあげる、ということが見つかってから、私は生きる楽しさを覚えた。

 老人ホームを回り話し相手になったりすると、私のポケットには飴やみかんやチョコレートや1万円札が入ってくる。おもしろい仕事だと思った。でもやはり、(自分の生きていけるホームヘルパー制度をつくらなければいけない)と思った。障がい者運動をやりながらも、色々な国に行き本を書いた。講演会もたくさんやった。バブルの時はすごくお金を頂いた。

 生きている限り大抵の人は、やりがいのある仕事がしたいと考えていると思う。でも障がいがあるからといって、働けない世界は悲しすぎる。障がい者雇用水増し事件は、やがて消されて忘れられてしまうだろう。マスコミや国のトップの安部首相は、謝ってはいない。彼自身がたくさんのミスを起こし、信じたくない人も増えているはずだ。でもやっぱり選挙をやり、安部さんが国のトップに立つのなら、どんな事件が起こってもマスコミが騒ぎ、終わってしまう。たくましく正直に生きている人たちは、なにを信じて良いのかわからなくなるだろう。

 日本という大きな国が会社なら、社長はすぐに辞めさせられるだろう。でも周りにいる国民や国会議員が許しているからこそ、日本という会社は続いていくのだろう。志をもった嘘の無い人たちが集まって、日本という国を変えていかなければ、障がい者は働けないし恋愛も結婚も出産もできない。夢はすべて捨てて生きなければいけないのだろうか。真実の政治とはどこにいるのかを、みんなで探して歩こうじゃないか。

 あまりにもずさんな国の対応に、私はあきれてもう腹が立たなくなってきている。(あぁまたか、しょうがないな)と思わないと生きていけない。私たちは紙くずになり捨てられているのである。もっともっと自分の知恵や力を信じて生きていかなければいけないのではないだろうか。働くことができないから、障がい者はみんな政治家になったらいいと思う。ちょっと私の皮肉である。今は元気がでない。

20年前からのファンです。

「あなたは私の手になれますか」

この本のタイトルに、
衝撃を、受け、読書嫌いな私が、
読書嫌いじゃなかったの?

それまで、自分が、苦手だと思って
いた筈の思い込みを、
覆して下さった

言葉の力

同じ言葉とは、思えない
説得力

いつか、御礼を、言える自分を、
目指して

今日があるのは、
紛れもなく、小山内さんのお陰です。

遅ればせながら、
「息子さん 御結婚おめでとうございます。」

小山内さん
くれぐれも、お身体ご自愛下さいませ^ - ^

いつか、必ず、息子と共に、
お会い出来る日を、次の目標に、
頑張ります。

因みに、息子は、
不登校三年目です。

障害者家族への
誤解、偏見は、想像以上ですね。

迷った時は、
「こんな時、小山内さんなら、どう考えるだろう?」

これからは、直接、ご相談しても、いいですか?

ご迷惑でなければ、
今後とも、我が家の行く末を、見守って頂けると、
心強いです。

小山内さん
どうか、くれぐれも、お身体ご自愛下さいませ^ - ^

「一人息子は、12歳 」さんへのメッセージ

やさしいコメント、ありがとうございます。

「あなたは私の手になれますか」は、私が書いた本の中でも一番うまくいった作品だと思います。ただ正直に、ケアをしてくださっている方や、ケアをしようとしている方を説得するように書きました。自分の失敗も書きました。あまり美しくはないけれど、本音の気持ちで書くことが大切だということをあの作品で学びました。

不登校をしている息子さんがいらっしゃるのですか?学校へ行くだけが人生ではありません。息子さんはどこへ行きなにをやりたいのか、を知ることが大切です。私も中学校のときは、ほとんど学校へ行きませんでした。いじめられて(もう生きていてもしょうがない)と思ったこともありました。でも家にいて『午後の洋画劇場』という番組があり、毎日映画が流れていました。私はその時間が来ると心がときめきました。ヒッチコックやチャップリンの映画が好きでしたね。アランドロンの『太陽がいっぱい』は何度見たかわかりません。すごく心がときめきました。あの弟はお兄さんを殺してまで恋人とお金を奪い取りかけましたね。私は(恋人とお金どっちが欲しかったのかな)と考えていました。でも最後の、「お兄さんの遺体を縛ったロープを切ることを忘れたところで、彼の人生は終わった」というところが素晴らしいですね。たった一本のロープで人生が変わるなんて。あの映画を書いた人は素晴らしい人だなと、まだ中学生のくせに考えていました。やはり家にいても、生きる楽しみがあり、そこで私はいろんなことを学び、原稿を書くことを覚えたのかもしれません。楽しいことをみつけることが大切です。社会の人たちで「そんなことくだらないよ」と言う人がいても、お母さんだけは信じてあげることが大切です。

東京大学に入っても、政治家の下で働く人たちは嘘ばかりつかなければいけません。学問は嘘をつくためにしているのでしょうか。学問は、正直に社会をよくしていくための道具だと思います。だから息子さんも大丈夫ですよ。いつかは笑って話せる日がくるでしょう。私も息子を育ててきましたから、相談に答えられることは答えます。でもわからないことは答えませんよ。気軽にコメントください。お元気で。

理想と現実

小山内さん

御叱りを、承知で、ご相談させてください。

私は、准看護士でした。

小山内さんの言葉は、

資格を、取得した一年目。

既に、初心を、忘れそうな私に、

大切な気づきを、与えてくださいました。

今回も、改めて、

自分の傲慢さに、気づかせていただき

これ以上、勘違いが、

暴走しないように、

自分自身に、立ち還り、

息子のことが、すべてに、なってしまわない

ように、

息子の人生は、息子のもの。

私の人生に、より集中して

過ごせますように、

今後とも、

御指導御鞭撻頂けると、

有り難いです。

宜しく御願い申し上げます。