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北海道胆振東部地震に残された宿題

 9月6日の午前3時ごろ、北海道胆振東部地震が起こりました。発生直後、当直のヘルパーさんが暗闇から現れて、ベッドに寝ている私を身体中を使って押さえてくださいました。何秒間かは(この地震、何度くらいかな?このマンションが崩れたらどうしよう)と考えましたが、徐々に揺れが緩やかになっていったので、(この地震は震度4か5かもしれない)と思いました。ヘルパーさんの身体は少し震えていました。私は「大丈夫大丈夫!そのうち止まるから、安心しましょう」と自分に言い聞かせるように言っていました。震える身体で私を助けようとしているヘルパーさんに感謝しました。

 地震が止まってすぐに、玄関のドアを開けておくことと、お風呂に水を入れておくことをヘルパーさんに頼みました。これは昔、母から習っていたからです。

 停電がいちばん大変でした。私も2日間停電で、夜が来るとちょっとイライラしていました。また、エレベーターが動かないので、どこにも行けませんでした。階段は車椅子で降りられる幅があるので、近いうちに警察と消防に電話をかけ、階段の上がり下りをやってみようと思います。そのようなことをやらないと、おんぶできない障がい者もいるので、シュミレーションは大切だと思います。警察と消防がどういうことを言ってくるかは、わかりませんが、何事もやってみなければ、わかりません。

 私の部屋は機械でコントロールされているので、電気がないと鍵の開け閉めができなくなりました。そこで、ヘルパーさんが鍵を郵便受けに入れて、バトンタッチ方式でやっていきました。いろいろ頭を使うことがたくさんありました。

 とにかく地震はこないほうがいいですね。でも日本中に起こりうるということがわかりました。懐中電灯やラジオやカセットコンロなど、色々な物をなにもない時から少しずつ買っておくことが大事です。私はせっかちですから、少しずつ買っておきました。それが役に立ったのです。せっかちは失敗の元だといつも思って、自分が嫌になることもありますが、せっかちもたまには役に立つのだということがわかり、ちょっと嬉しかったです。

 子供の時から、「母が死んだらどうやって生きよう」と考えていました。子供の時からなぜそんなに悲しいことを考えていたのかはわかりません。でも母と別れた時、障がい者運動をやっていて良かったなと思いました。

 こんな地震がきても、ヘルパーさん達は確実な時間に来てくださり、私のケアをしてくださったのです。自分の家も混乱しているはずです。それでも笑顔で来てくれたことは、とても感謝です。やはり近くにいるヘルパーさんが心強いです。でも今回は、遠くからも来てくださりました。互いに信じ合っているということが大切だと思います。

 今日、地震の後はじめてスーパーに行きました。野菜・魚・肉など、欲しいものはほとんど買えました。納豆と牛乳とヨーグルトはありませんでした。牛乳は消毒できないからでしょうか。しぼった牛乳を捨てているとテレビで見ました。札幌市はすごく被害のあった所と、なにもなかった所と、差が大きくあります。地盤のせいでしょうか。この教訓を生かして、これから私たちはなにをやっていくべきかを考えなくてはいけません。

 私は、災害時はマンションの住民に助けてもらおうと思い、毎年マンションの玄関で行われるジンギスカンパーティーに参加していました。このパーティーは、マンションの組合に私が訴えて開催されているものでした。私のマンションひとつが町内会になっています。「なにかあったら来てくださいね」というと、お年寄りのいる家庭の奥さんも「私の家にも歩けないおばあちゃんがいるので、よろしくおねがいします」とハッキリ言ったのに、今回の地震で声かけがなにもなかったことが残念です。ノックをして「大丈夫ですか!」と聞いて歩く必要があると思います。ジンギスカンを食べても、いざと言う時のことができなかったことに、ちょっと怒りを覚えます。

 もっと揺れて火事になったりした時は、絶対に5階から降りなければいけません。だから警察や消防に言って、息子が階段での車いすの上げ下ろしの方法を教え、ビデオや写真で撮っていただき「こうなんですよ!やってみませんか?」ということを、マンションの人たちに訴えていかなければいけないと思います。火事を想定した避難訓練では、私はエレベーターを使って避難していました。疑問に思いながらやっていましたが、「車いすを抱えた訓練をやってください」と言えなかった私に弱さがあったのだと思います。

 テレビで見ましたが、震度7だった地域で1人の72歳のおばあちゃんが住んでいましす。近くに住んでいた男性が、そのおばあちゃんを見に行きました。家が傾いていたそうです。その男性はすぐにのこぎりで家に穴をあけ、おばあちゃんを助けたそうです。とても勇気のある男性だなと私は感激しました。弱い男性ばかりかと思っていましたが、こういう男性がいるということは頼もしいなと思いました。おばあちゃんを助けたい一心だったのでしょう。でも助けている最中に地震がきて、その男性も危なかったのです。とにかく、人間助け合って生きるということが、みんなの命を守っていくということだと思います。

 地震が起きて、私たちにはたくさんの宿題が残りました。この宿題に取り組んでいかなければいけないと思います。私は、いちご会の理事長としては、地震が起きてぼんやりしていた時間が長かったと思います。でも職員の人たちが機敏に動いてくださったので、我に返りました。ご苦労様でした。

地震の疲れは出ていませんか?

小山内さん、偉いです。
ヘルパーさんや職員の方への感謝の気持ち、マンション生活での課題をすぐ考え発信する勇気。
車イスで階段を使っての避難方法は、やってみないことには分かりませんよね。

それと、随分遅れましたが、私の話を聞きますよと言ってくれたこと。心が温かくなりました。少し照れます。
各々が出来る役割に、優劣はありません。お互い様で、心やケアが循環していったら施設や病院も利用する方には過ごしやすくなり、私たちには働きやすい職場になると感じます。
東日本大震災の時、3日停電しただけで底知れぬ恐怖でした。ガソリンがないことも。余震がその恐怖を増幅しました。緊張が緩んできたころ疲労がどっとでました。
小山内さんも、ヘルパーさんも、職員の方もご自愛ください。

安心しました。 ご無事そうで、 本当に本当に、よかったです

安心しました。
ご無事そうで、
本当に本当に、よかったです。

今日も、生かされていることに、
感謝します。

小山内さんの
お母様の教えに、亡き祖母の姿が、
重なりました。

小山内さん

きっと、
まだまだ、大変な状況かと、
想像しますが、
どうか、ご無事で居てください。

安心しました

小山内さん。無事で安心しました。

好き

初めまして、明美です。
私も脳性まひです、
小山内さんの、ブログはいつも見ています。
人生はいろいろ。
私は手はいくらか、使えます。
言語障害があります。
地震で小山内さんが、無事でよかったよ。