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心に何度も突き刺さったナイフ

  

    9月24~25日にかけて、東京出張に行ってきました。目的は、東京都福祉局に勤めていた山下正知さんの講演会を聞くことと、次の日の厚労省との話し合いに参加することでした。山下さんは、日本においての介護時間がどのように増えていったかということや、障がい者の人たちとどのように付き合っていき理解しあっていったか、というお話をしてくださいました。(本当にこの人は障がい者のために戦った人なんだ。上の人との板挟みにあい辛い時もあったんだろうな)と強く感じました。

    出張のきっかけは、「くみあい」という障がい者団体の会報を見て、心が惹きつけられたからでした。その会報は、すべてのページが厚労省への要望書でした。それを読み、札幌いちご会の遠い昔のことを思い出し、(会報というものは本当はこうでなければいけないのだな)と私の心は燃えました。様々な障がい者の気持ちを美しく原稿に表現することも大切ですが、障がい者たちが実際に生活しているときの困りごとをかき集めて、要望書にしていくのが、障がい者たちにとって最も重要な仕事ではないかと、改めて考えさせられました。

    組合の代表は三井絹子さんという、寝たきりの障がいがあり、女の子を1人出産された方で、私より長く運動をおこなっています。彼女は昔、府中療育園にいた時、あまりにも人間扱いされない生活だったので、施設の前でお兄さんと2人で座り込みをしました。自分の身を預けている施設の前で座り込みをおこなうことは大変恐怖であり、(私ならできなかったかもしれない)と深く考えてしまいます。それだけ彼女は命がけの運動をおこなってきており、今も変わらず東京都や厚労省に、自分たちの意見をぶつけているという、変わらない姿に感動を覚えました。国立市では重度障がい者の1日24時間ケアは当たり前のことであり、お風呂の時や外出の時は2人体制の介助をおこなっていると聞きました。

    三井さん達は厚労省と直に話し合えるので、うらやましいと思いました。身体障がい者の問題だけでなく、知的の人たちの問題など、困ったことを聞くとすぐ要望書にして訴えていくというやり方に、頭が下がる思いでした。あまりにも膨大な話を聞きすぎて、うまくブログには書けません。今日はちょっと覚えていることだけを書いて、あとはいちご通信に書きます。もっと深く知りたい方は、「くみあい」という会報の読者になってください。札幌・北海道の障がい者はおとなしすぎると思いました。これからはもっと、障がい者の思いをぶつけていく若い人たちが生まれてこないと、ヘルパーの時間数を削られてしまいます。生きている限りずーっと言い続けなければいけないことなのです。それが私たちの宿命的な仕事だと思います。

    話し合いでは、例えば「温暖化現象でエアコンがなければ生きられない人が出てきています。生活保護者にエアコンを出してください」とか、「ジェネリック医薬品を、生活保護者に使ってくださいと強制的に言ってくるのはおかしい」といった訴えがあり、長い話し合いが続きました。

    また、入院時のヘルパーをつけることについて「区分4・5も認めてください」という要望があり、それに対し厚労省の人は「前向きに検討していく」とおっしゃっていました。

    また、知的障がい者の身分証についての要望がありました。知的障がい者の方は、東京都では「愛の手帳」、全国的には「療育手帳」が交付されています。しかし、ある知的障がい者の女性が安室奈美恵さんのコンサートへヘルパーさんと一緒に行ったが、「愛の手帳は身分証明書にならない」と入場を断られたといいます。彼女はそのことに対して憤りを覚え、厚労省や国会議員まで動かし、謝罪してもらったといいます。知的障がい者の人がヘルパーさんと一緒に安室さんのコンサートに行こうとするだけで拒否されることは、まったく信じがたい問題だと思いました。しかし、障がい者はそういう問題に出会うときが多々あります。黙ってあきらめて帰ってくる人が多いのではないでしょうか。国民として自由に生きる権利は、憲法に定められています。私もそういうことに何度も出くわしたことがあります。たわいもない問題を、きちっと文章にして厚労省や国会議員に話したことは、素晴らしいことだと思います。このような行動の積み重ねが、社会を変えていくことだと思いました。

 また、行動援護従業者の資格が義務化について。資格をもっていない慣れたヘルパーさんは、その決まりによって次の日から障がい者の人たちの介助ができなくなり、困っている人が多いので、「資格はいらない」と訴えていました。さらに、「厚労省の人たちの名刺や、厚労省から送られてくる書類にルビをふってください」と、かなり強く訴えていました。その意見には私も、心にナイフを刺されたような思いがしました。

    先ほど言った通り、もうこれ以上は書ききれません。あとは、いちご通信などに書かせていただきます。今回は私のケア2人と、脳性まひ者で結婚して子供が4人いる永島勝章さんと、いちご会のボランティアの金田さんとの5人で行ってきました。戦争のように激しい話し合いの中で、永島さんは何をとらえたのでしょうか。若い障がい者達にこのような現場を見せてあげることが、大切だと思います。もっともっとたくさんの障がい者たちを連れて行きたいので、ぜひ、いちご会の会員になってくださることを心から望みます。

    三井絹子さんと久しぶりにお会いしました。文字盤に指差しで「あなた、まだ24時間ケアとっていないの?」と叱られました。絹子さんは1945年生まれです。府中療育センター闘争の中で、ボランティアの三井さんと知り合い、絹子さんは平仮名タイプライターで「あなたは帰る家がある。私には無い。あなたの背中はもう見たくない」と書いて手紙を送ったといいます。それで愛が生まれ結婚したのです。私が新婚さんの時に母と一緒に絹子さんの家を訪問し、大きな段ボール箱いっぱいの2人のラブレターを見せてもらいました。それから可愛い女の子が生まれました。彼女は短い言葉で男性を口説くテクニックをもっており、若い時の絹子さんは安室奈美恵さんにも引けを取らない美しさでした。『抵抗の証 私は人形じゃない』という本を書かれています。

    厚労省との話し合いでは、生活保護課・障害福祉課・保健医療課などの人たちが、次々と書類を担いでやってきました。真剣な国会答弁のようでした。