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聞くと見るとでは大違い。

昨日の続きです。

私たちが東京へ行った日は、汗がふき出るほどのあたたかな日差しが出ていました。すばらしいクリスマスツリーがあちらこちらに見えて、どこでも写真を撮りたくなりました。

浅野さんの出版パーティーが終わった次の日、私は楽しみにしていたことがありました。東京の由緒あるホテルに行きバリアフリーチェックをおこない、来年東京に来ることがあったなら一泊してみようと思っていました。札幌からそのホテルに電話をかけ「バリアフリーの部屋はありますか?」と聞くと、美しい声で「ありますよ。ここのホテルは全てバリアフリーでございます。いつでもおいでください」と、丁寧な口調で話してくださいました。言語障害のある私が電話をかけると、ぶっきらぼうに答えが返ってきたり、無視され電話を切られることさえあります。こんなにやさしい口調で話しかけてくださるホテルは、きっとすばらしいのだろうと私は心がウキウキして、一生懸命働いて来年の楽しみにしようと思いました。少し落ち込んだ時も、そのホテルに電話をかけたくなる衝動にかられるくらいでした(笑)。

そのホテルに向かうと、周辺に新しいホテルがたくさん建てられており、なかなか見つけにくかったです。ロビーにはすばらしいクリスマスツリーがあり、ロビーの障がい者用トイレは作り直したばかりに思えました。そして係の方に頼み、バリアフリーの部屋を見学させていただきました。入って見たところ、一般の部屋とあまり変わりはなく、洗面台だけは車いすでも使いやすそうでした。「シャワーチェアはありますか?」と聞くと、古ぼけた真四角のイスが出てきました。とても、障害のある人が安心して座れる椅子ではなかったです。「これがシャワーチェアですか?何十年も経っているようですね。私には使えません。他の障がい者も困ると思います」と言ってきました。

トイレの入り口は、私の車いすがやっと入っていく幅しかなく、介助者が入るスペースはありませんでした。「このトイレは介助を受ける人は入れませんね。困りました。作り直したほうがよいですよ」と言ってきました。案内してくださった50代くらいの男性は、障がい者自身からそのような指摘をされたことが全くなかったのでしょう。顔をこわばらせてひっくり返りそうな姿勢になっておりました。他の部屋も見せていただきましたが、どれもトイレの幅が狭く、お風呂も手すりがありませんでした。「わかりました、このホテルは障がい者が泊まりにくいということが。これからオリンピックとパラリンピックがありますが、海外の友達にこのホテルは紹介できませんね」と言ってきました。聞くと見るのとでは、あまりに違いすぎました。怒りさえ覚えました。

これから新しく建てるホテルに期待するほかありません。どのような基準がバリアフリーの部屋か、ということをはっきり決めなければいけません。パラリンピックの関係者の皆様、ぜひ細かなチェックをし、障害をもった人も安心して泊まれる部屋の基準を決めてください。そういうことをおこなわないかぎり、オリンピックが終わった後の財産が残りません。オリンピック・パラリンピックに来られた方が、美味しいものを求めて札幌にもいらっしゃると思います。札幌も急いで、障がい者が安心して泊まれる部屋はどこにあるのか、という情報を載せたガイドブックを作っていかなくてはなりません。雪が溶けたころ、チェックして回りたいと思います。過激な障がい者ばあさんだなと、ホテルの方はうわさしているかもしれません。でも本当のことを伝えなければ、社会は変わっていきません。ちなみに私が泊ってきたホテルは、とても使いやすい部屋でした。

 

次の日は、いわさきちひろさんの美術館に行ってきました。前から一度行ってみたかったところでした。ちひろさんの住んでいたところを改造して美術館にしていました。広い展示室に、ちひろさんが描いた淡い絵がたくさん飾られており、2階には女性カメラマンの写真が展示されていました。1階には喫茶店があり、おいしそうな匂いが流れておりました。(なにか食べていきたいな)と思いましたが、時間がなかったのでグッとがまんして、ちひろさんのポストカードを10枚買いました。それらは私のトイレに飾ることにしました。私のトイレは小さなちひろさんの美術館のようになりました。

いちご会もこのような美術館を作り、写真や絵を飾り色々な方に見に来ていただき、美味しいコーヒーを作り、若くて美しい障がい者たちが車いすにテーブルをつけ配って歩く喫茶店をつくりたいなと、心の底から思いました。誰でも出入りできる場所をつくり、やさしい手(ヘルパーさん)を呼びかけたいなと思いました。障がい者は、してもらうだけでなく障害のない人たちのためになにかしてあげることを考えなくてはいけないと、心の底から思います。

私は10~20代の時、足で絵を描いていました。でも、いちご会の運営費にするために、良い絵は売ってしまったのです。(惜しかったな。あの絵をとっておけば、私の美術館はできたはずなのに)と、絵をひとつひとつ思い浮かべて悔やんでいました。でも私の絵はまだ、コピーしたはがきで残っています。いろいろな人の手を借り、飾りたいと思います。時にはミニコンサートをやりたいです。車いすのギタリストが生まれることを願っています。

この夢は妄想でしょうか?いえ、決して妄想ではありません。あたたかな手をみつける一つのテクニックだと思っています。全国でこういう場所をつくっていかないと、私たちの命は守ることができません。65歳、夢に向かって走らなければいけません。たとえその夢にたどり着くことができなくても、後に残った人達がおこなってくださると思うのです。その画廊には、息子がヘルパーさんたちに在宅のストレッチ体操を教える場も作りたいなと思っています。本当に、東京へ行って良かったです。一緒について来てくださったヘルパーさん2人に感謝します。生きているかぎり私は、夢を描き続けて歩こうと思います。皆さんも一緒にやりませんか?

東京のイルミネーションです。まばゆい美しさでした。来年は何色かしらね。明日に希望をもつことが大切ですと、このイルミネーションが語っているような気がします。