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ちょっと無視されても、笑えたことが嬉しい。

 最近の札幌は気温の差が激しくて、なにを着て出かけていいのかわかりません。風邪をひくことが怖くて、いつも緊張して天気予報を見ています。

 昨日、スーパーの隅で、お葬式や子供の七五三や学校に入る時のための保険のようなセールスをおこなっていました。私はどこでも顔をつっこみたい性格であり、お葬式は興味がなく、孫のためになにか良い保険があるのかと聞きたくなりました。そばに行き、「孫が生まれるんですけど、なにをやっているんですか?」と聞くと、3人の女性がいてビックリした顔をして「あなたはあちらに行ってください」というような手招きをして、お葬式のほうを指し示していました。私が「あちらはいいんです。私はこちらのことを聞きたいんです。」と言っても、私の言葉がはっきり聞き取れなったのか、その3人は戸惑っていました。

 私の言語障害が邪魔したのか、それとも私に孫が生まれるということが信じられないのか。どちらが本当なのかはわかりませんでしたが、(障がい者の人たちに接したことのない人たちだな)と思いました。私は少し頭にきましたが、こういうことはしょっちゅうあるので、諦めてきました。秘書が「お孫さんが生まれるんですよ」と、はっきり通訳してくださっても、その3人はあまり良い表情を浮かべませんでした。抽選の箱がありましたが抽選もさせてもらえませんでした。

 (抽選できない)と腹を立てている自分がおかしくなってしまい、怒る気にもなれなくなり、(まだまだ障がい者を理解できない人がいるのだな)と思いました。悲しいより、あまりにもいつもこういう経験をしているので、(またか…)と思い笑ってしまいました。笑い飛ばせる自分が嬉しくなりました。

 「お葬式のほうへ」と手招きされたことは、ちょっと不愉快ですが、仕方ありませんね。障がい者が母になったとき、紙おむつを売ってくれなかった店もあり、今度は孫がいるということも、なかなか信じてもらえない世界があり、不思議でした。

 でも今日、また同じ店に行き洋服を買いに行くと、店員さんが私の顔を見てニッコリと笑いかけ、「なにを買ったんですか?」というようなことを語りかけてくださり、(あぁ、この人はとてもいい人だ、さわやかだ、なんでも買いたい!)と思えました。その女性のところには、障がいのある人がたくさん来ていたので、慣れた対応ができたのだと思います。そのような、障がいがあっても自然に語り掛けてくれる人に出会うと、涙が出るほど嬉しいのです。

 このような様子が、心のバリアだと思います。孫を抱いていたら、真剣に話を聞いてくださるのかしらね。障害の重いばあさんは、簡単におばあちゃんになれないことを知りました。太陽がまぶしく、生きていることの喜びを心から感じた日でした。

 七五三の姿、かわいいでしょう。30年ほど前、息子も写真館で七五三の着物を着せてもらい、写したことがあります。写真館の人に千歳飴をもらい、喜んでいた姿を思い出しました。家に帰って「飴、お母ちゃんにも少しちょうだい」と言うと、2~3センチ割って口に入れてくれました。その味は今も忘れません。

素直に

というか、相手の言葉を、思いを受け止め、言葉のキャッチボール(死語か?)したいですよね。
心のバリアとか、色眼鏡とか・・・必要ないと思うし、ないほうがいい
でも、私の心にゼロかというと怪しい(汗)
そういう自分も許しつつ、偶然の出会いでも機会があればどんどん会話していきたいです。

お孫さんの誕生、楽しみですね。