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美智子さまに「同じお名前ね」と3度

 今年のゴールデンウイークは10日間休みだというが、私はちょっと考えて、3日間働くことにしてしまった。ちょっと後悔している。平成から令和に変わりマスコミはお祭り騒ぎだ。美智子皇后の美しい姿の映像がたくさん流れている。

 私は中学生と20代前半の頃に3回、美智子妃殿下と会ったことがある。なんで3回も会えたか、私が意図したことではなかった。養護学校に美智子妃殿下が来て、学校中を警察・SPが囲んでいた。学校に見学者の人が来た時はいつも、スリッパの音でパタパタしてちょっと騒がしかった。しかし皇太子と美智子さまが来られた日は、スリッパの音がまるでしなかった。突然教室のドアが開いて、たくさんの人が入ってきた。私は足で編み物をしていた。美智子妃殿下は、私が編んでいる毛糸を触り「きれいですね。編み物が好きなんですか?」とおっしゃり、私の名札を見て「まぁ、わたくしと同じお名前ね」とおっしゃり、手を握ってくれた。私はなにを言っていいかわからなくなり、しどろもどろになりつつ「私は元気です」と言っていたように思う。

 美智子妃殿下のスカートが椅子に引っかかり、めくれてしまった。カメラマンがたくさん来ていたので、私はあわてて「美智子さま、スカートが上がっています」と教えてあげた。「まぁ、ありがとうございます」と、また私の手を握ってくれた。後から先生に「あのように話をしなさいと、誰かに言われたのか?」と聞かれたので、私は「違いますよ」と答えた。美智子さまは、私の編んでいたカリフラワーのようなクッションを気に入られたようで、触っていた。「それ、あげましょうか?」と私が言うと、「くださるのですか?」とおっしゃり、横にいた人になにか話していた。それが1回目の出会いであった。

 2回目は札幌国際スポーツ大会(プレ・オリンピック)の時にいらして、浩宮さまと美智子さまの同じ列に私は座らされた。またその時も「お元気ですか?寒くないですか?あら、わたくしと同じお名前ね」とおっしゃった。東京の国際障がい者年の時もお会いして、その時も「わたくしと同じお名前ね」とおっしゃった。私は3回、美智子さまに「同じお名前ね」と言われていた。

 美智子さまは何千人・何万人という人に会っておられるから、私の顔など覚えている暇はない。とにかく、あれだけ美しい人はいない、日本一の美女だと私は思っている。私の母は、美智子さまの写真を部屋に飾っていた。母のお母さんも、昭和天皇の写真を家のあちこちに飾っていた。

 とにかく平成はいろいろな事件があったが、戦争はおこなわなかった。それが何よりもの美しい歴史だと私は思っている。天皇陛下はよく「平和を大切に」「国民に寄り添って生きる」というような言葉をおっしゃっている。令和になっても、戦争のない、国民が楽しく生きられる歴史を築いていかなければならないと思う。

 令和の時代に咲く花。平和を祈る。

日本人であることを誇りに思います

本日の一般参賀で会場前に4万人もの方々が行かれて予定より20分早く開場されましたね。

空からの映像を見ていると「人・人・人!」

話はそれますが、実は私、「1997年8月31日」イギリスのロンドンの安ホテルに旅行で泊まっていました。

部屋にはテレビがあったのでつけていたら、「ダイアナ妃死亡」のニュースが流れていました。

長い人の列が出来、みな口々にダイアナ妃を称賛していまっしたが、ダイアナ妃と交流があった歌手の「エルトン・ジョン」さんが、

「彼女がここまで愛されていたことを生きてらっしゃる時に知ってほしかった。」

とコメントされてらっしゃいました。

話は戻りますが、本日の一般参賀で、令和天皇、皇后両陛下は。ご自分たちが日本国民にどれだけ愛され、尊敬されているかを、参賀に行かれた方々が代表として示されたと思います。

両陛下がお元気な時にそれを示された参賀の参列者をご尊敬するとともに。自分が同じ日本人であることを大変誇りに思います!