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自分を分析してみたとき

 今日は静かな事務所の中で、秘書の林さんに本を読んでもらっている。しかし本を読んでいるうちに、子守歌のように聞こえて心地よくなり眠くなってしまう。私は本を読むことより、書くことのほうが多いような気がする。子どものときから「みちこちゃん、本を読みなさいよ」と何度言われたかわからない。

 リーディングサービスという、本や新聞などを電話でなんでも読んでくださるボランティア団体がある。若き日は足で新聞を開き、どこを読んでいただくかチェックをし、電話をかけて新聞を読んでいただいていた。本も、テープレコーダーやCDに録音してもらって聞いている。でも私の性格上、書きたいことが多すぎて、なかなか読み聞きすることが少ないことが欠点だと思っている。

 事務所で、昨日お土産でもらったクッキーを1人3個ずつみんなで分けて食べた。とても美味しそうなクッキーだったので、(手が使えたなら冷蔵庫に頭を入れて、一人でむしゃむしゃ食べたかもしれない)と想像してしまった。(なんて性格の悪い女なんだろう)と思った。

 私は障害がなく手が使えたなら、どういう性格をしていたんだろうと考えるときがある。子どものときから、自分のお菓子を他の人に分けてあげないと、誰も私の口に入れてくれなかった。「あなたにお菓子これだけあげるから、私に食べさせて」と言うと、友達は喜んで私の口に入れてくれた。

 両親にもかわいく甘えた声で物を頼むように心がけていた。「これ、してよ!」と言って親が拒んだら怖いからである。「母さん、これしてよね。お願いだから」と結構気をつかっていたような気がする。ボランティアやヘルパーさんたちにも、一日「ありがとう」と「すみません」という言葉を、何度言っているかわからない。

 私は時折、生活の中で演技をしているような気がする。どれが本当の性格かわからなくなる時がある。でも、ほんのちょっぴりだけ嘘を言ったり、あまり良くないことをしてしまうと、夜寝ている時に怖い夢をみる。(あぁ、やっぱり嘘を言ってはいけないな。正直に生きなきゃな)と自分に言い聞かせる。

 障害がなかったらどんな自分だったのかは、想像できない。でも手が使えなかったからこそ、友達とおやつをつねに半分こして、「おいしいね」と顔を見つめ合って笑いながら食べていた。そのことは、間違いなく良い思い出であり、今のいちご会をつくってきたきっかけになっていることに違いはない。

 今回の参院選で、様々な障がい者たちが立候補してきた。とても頼もしいことだ。立候補した障がい者全員が当選したらいいなと、私は思う。障がい者が国会に存在するだけで、国会の中は変わる。色んな道具をつけたり、ケアする人もつけなければいけない。ケアなど考えたことがない議員さんが、彼らを目の当たりにすることで、ケアの大切さと向き合わなければいけなくなる。

 障がい者が国会にたくさん存在することが、これからの高齢社会にとって将来への財産となり、社会を大きく変える力をもっている。どんなことが必要かもわかってくるはずだ。私は皆さんが当選することを、心の中で祈り続ける。