ナビゲーションメニューへ

まだまだケアを受けるプロにはなれません

 カテーテルのことは、もうブログに書いてはいけないと思っている。が、カテーテルのケアを受けてわかったことは、基本的にケアを『あなたまかせ』にしてはいけないということである。

 管を肌にテープで固定する位置も、同じ位置にばかり貼って肌を痛めないように、太ももやお腹や腰など変えていかなければならない。そこで私は、一週間のスケジュール表をつくり、曜日ごとに「右の太もも」「右のお腹」「へその下」と書き、それを見てヘルパーさんに指示している。

 おすそからテープで押さえるまでの管のたるみ方が、一番難しかった。ゴルフボールを通らせたりもしたが、最近は「ヘルパーさんの指4本が入ればいい」という答えが出たりしている。ただ、ヘルパーさんによっては指が細い人や太い人がおり、これも100点の答えとは言えない。でもヘルパーさん達も一緒に考えてくださるので、頼もしく思う。

 結局、シャワーチェアの前にお風呂の鏡があるので、鏡をみながらカテーテルの管を固定する位置を指示すれば、上手くいくようになった。やはり、してもらうだけの考えでは絶対にうまくいかない、ということをあらためて感じた。

 この一週間、私は膀胱の痛みもなく過ごしている。カテーテルの看護師さんたちは、やはり『私のほうが知っている』という考え方が強いので、私のアイディアをなかなか聞いてもらえず、計画が失敗してしまう。体調が変わってしまったとき、どうすれば心地よくなるかということを、私自身も頭の中でよく考えることが大切だ、ということを教えられた。

 「私はケアを受けるプロよ!」と意気込んでいたが、まだまだプロとは言えない。ヘルパーさんも、ケアをするプロになるためには、ケアを受ける相手の意見をよく聞き、自分のやり方を見つけていくことが大切なのだ、ということがわかった。互いに信じあって、その人の手を愛することだと、私は感じた。

 オーバーなことを書いているが、本当に、膀胱の中に自分のものではないものを入れて移動するということは、なかなか難しいことである。でも、なにが起こっても私は、ヘルパーさんの手を信じて自分の考えを伝えることで、ヘルパーさんの手を自分の手にしていかなければいけない。生きているかぎり、優れたケアのプロにはなれないのかもしれない。そう自分で考えていたほうが生きやすい。

 ヘルパーさんから、看護師さんや医師たちのことについて「今度はプロの人が来るからいいね。安心ね。」と言われた時、私は「プロより怖いものはいないのよ」と言ってしまった。そう考えるのは、私が子供の時から養護学校の教師や施設の看護師や医師や保母さんなどと触れ合ってきたからである。人間にとって専門家とはなんなのかを考えなくてはいけない。

 障がい者が入院したとき、医師は病気のことはよくわかるが、障がいのことはよくわからない。そこで私とぶつかり合う時がある。でも私がうまく説明してわかり合おうとすると、医師の心もやわらかくなってきて、わかり合おうとする態度に変わっていく。患者の意見をよく聞き、それに沿って治療をおこなうことこそ、医師としてのプロなのかもしれない。

 大学に行ったから、成績が良かったから、論文をうまく書いているからといって、その人は仕事のプロとは言えない。資格を取っている人が多いが、それも大切なことだと思うが、資格を取ってしまうと障がい者を上から目線で見ることがある。それは困ったことである。

 私も苦しい目にあったが、ヘルパーさんたちに根気よくケアを受け、今は心地よく生きていることに感謝している。ヘルパーさんたちが「今日は安らかに眠れるといいね」と言って帰っていったとき、私の心は穏やかになる。互いにケアをするプロ、ケアを受けるプロになってきているのだと思う。私たちはそういう日々を毎日繰り返しながら、生きていかなければいけないのだ。