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差別させる側とする側

 お久しぶりです。今、世界中がコロナウイルスの話で混乱しています。うつされる恐怖とうつす恐怖が織り交じっており、医療関係者も治療に力を入れていることでしょう。あいにく私はこんな時に風邪をひいてしまい、最初は(もしコロナにかかっていたらどうしよう?)と不安になりました。保健所に電話をかけ聞いてみると、近くの病院を紹介してくださっただけでした。医師たちもマスクもあてずに患者と対応していました。(こんなことでいいのかな)と、ちょっと不安になりました。でもあまり不安になると社会が混乱してしまいます。冷静に判断する人がいることはよいことかもしれません。

 病気がうつるということは大変こわいことです。私も子どもの頃に銭湯へ行ったとき、私の姿を見た他の子のお母さんに「うつるから来ないでください」と言われたことが何度もあります。(私の障がいがうつるのであれば、私は山奥の病院に連れていかれるでしょう)と思いました。なにも知識のない人たちが自分を守るためについ言ってしまうのでしょう。水俣病やイタイイタイ病の人は、家の窓に石を投げられ、「どこかに行け!」と言われたそうです。原因もわからないでそんなひどいことをおこなうのが、人間なんでしょうね。悲しくてなりませんでした。

 私は若いころ、水俣に行ったことがあります。私が出演した『みちことオーサ』という映画があり、それはスウェーデンの友達が札幌に来た様子を映画にしたものです。その映画を水俣で上映したのです。その時、顔をスカーフで隠した女性が、私に会いたかったと声をかけてきました。彼女は「小山内さんにずっと会いたかったんです。障がいがあったなら、なぜ隠れて生きなければいけないのでしょうか。恋愛も結婚もなぜできないのでしょうか。」と泣き始めました。私が「あなた、なぜスカーフで顔を隠しているの?」と聞くと、「親に小山内さんと会ったらダメと言われているからです。」と彼女は答えました。彼女の親は、水俣病をもつ子どもがいると、その子の他の兄弟も結婚ができなくなったり仕事がなくなったりする、という考えをもっていました。やりきれない思いでした。「スカーフをしてでもいいから、映画を観に来ない?一緒に行きましょう。」と私が言っても、彼女は首を横に振り「ありがとうございます。でも私は小山内さんのような勇気がないのです。」と言い、サッと喫茶店のドアを開けて出ていきました。

 戦争が終わり日本には平和な時代がやってきた、と信じて生きていましたが、まだまだ人間同士に差別があったのです。はやくコロナウイルスの特効薬がみつかり、世界に平和がくることを祈るしかありません。障がい者がコロナウイルスにかかってしまうと、専門家の人たちにケアを受けるのでしょうか。それともヘルパーさんたちが防護服を着てケアをするのでしょうか。新しい問題が生まれてきました。つらい思いをしている人たちになにもしてあげられない歯がゆさを感じています。これからはマスクが売れます。みんなでマスク工場をつくりましょうか。障がい者が頼る存在から頼られる存在にどうしたらなれるのかを、毎日考えています。

 私のブログはスパムが多くて、コメントを書けないようにしました。本当にお許しください。どうしてもお急ぎの用事や聞きたいことがある人は、札幌いちご会に電話をかけるか葉書を送っていただくかで、コメントをください。パソコンはとても便利がよいですが、不便さも多々あります。でもパソコンと携帯はもうやめられませんね。世界中の電気が消えたなら、どのようにしましょうか。そこまで考える私はおかしいのでしょうか。でも介護ロボットは移動の時などに使うとか、部分的なケアをもう考え始めて実行しなければいけないと思います。