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せっかく生きているのだから

 ヘアスタイルを毎回同じくしていると、あきてきてしまう。この歳になって長くはできないし、なにか良い方法はないかと考えていました。(よし、今度こそはパーマをかけよう!)と決心して、美容室へ行きました。もうその美容師さんとは10年近くお付き合いさせていただいています。カットがすごく上手くて、雑誌に載っていた写真を見せて、「このようにカットしてください」と言うと、本当にそっくりに切ってくださるのです。上手いですよ!私は脳性まひによる不随運動で体や首が動くのに、手早くおこなってくださいます。

 「今日こそはパーマをかけます!」と言うと、いつも言われているとおりに「パーマですか?小山内さんはとても良いくせ毛ですよ?パーマね・・・」と言われます。(うーん、どうやったらパーマをかけてくれるかな?)と考え、「今私、せっかく生きています!やりたいことをやりたいんです!もう一度、男性を口説けるくらいのヘアスタイルにしてください!」と言うと、彼女は目を大きくさせて「わかりました!パーマをかけましょう!」と言って、かるくパーマをかけてくださいました。 >>続きを読む

自分で自分を褒めることでパワーが出ます

 先日、北海道大学の作業療法学科で講義をさせていただきました。この仕事は20年以上おこなっており、大変光栄なことであります。障がい者自身が作業療法士になる学生さん達に話すことは貴重なことであり、障がい者にとって最も重要な仕事だと思っています。

 仕事を長く続けるためには、自分を褒めることが大切であり、仕事をしながら楽しみを見つけることが大切です。これからは作業療法学科の人たちも、ヘルパーという仕事をしながら、どうしたなら在宅の人が住みやすくなるかを、障がい者と共に研究することが大切です。生きるということは、いつも楽しみや希望をもつことです。今後、障がい者をサポートするロボットがどんどん開発されてきます。その中で障がい者の人たちにそのロボットをセッティングしたり、直したりする仕事が増えてくると思います。作業療法士は病院や施設だけにいることなく、在宅に行って共に学び、共に研究して楽に暮らせる方法を考える必要があると思います。

 私は「ヘルパーが来ない」と嘆いていないで、ヘルパーさんたちにもっと幅広く働いてもらう世界にしたいと思っています。ただ身の回りの世話・掃除洗濯・外出だけでなく、時には街に行き、使いにくいレストランやトイレがあったら、一緒に改造をしたり考えていくことも必要だと思います。 >>続きを読む

歴史が動いた日

11月5日と7日、舩後靖彦さんと木村英子さんが国会での初質疑をおこない、その様子が国会中継された。

木村さんはバリアフリーについて、具体的に質問していた。「障がい者用トイレから多目的トイレになったことは、なぜなのか」ということを質問していた。「多目的トイレとは、言葉的には美しいが、いろんな器具がトイレに付きすぎて、電動車いすなど大きいものは使いにくくなっている。介助者も入りにくくなっている」と言っていた。他にもいろいろ言っていたが、自分の経験を通して言う言葉には重みがあり、真実があり、ステキだった。

舩後さんは、「自分は健常者世界と障がい者世界の両方を知っている。インクルーシブ教育を進めていかないと、障がいのある者とない者が、互いのことをわからない世界で暮らし続けてしまう」というようなことを言っており、彼にしか語れない『教育』という重みを感じた。

2人が話しているのを見て、私は目が熱くなり胸が苦しくなった。(あぁ、やっと、障がい者も国会に入り、意見を言える時代が来たのだな)という思いで、嬉しくて涙が一粒出た。(あぁ、私も国会議員になりたいな)と思ってしまった。でもやはり、2人を応援する立場でありたいと強く感じた。 >>続きを読む

オリィさんの優しい微笑みの中から

 11月2日、吉藤オリィさんの講演会をおこなうことができた。はじめて北海道大学にある学術交流会館の講堂を借りておこなった。真っ赤な椅子がありステキな会場であった。その日は天気が良く、イチョウの葉っぱが風に揺れ、美しいライトが光っているような感じがした。

 オリィさんは美しい俳優のようであり、サスペンスドラマに出ていてもおかしくない人であった。厳しい顔もするが、障がい者の人を見る視線がとてもやわらかく、「僕と一緒に考えて生きようね」と言っているような表情を浮かべていた。札幌いちご会は42年間、様々な講演会をおこなってきたが、今までで一番のイケメンの人だと思った(笑)。

 不登校になり孤独になり、その中から這い上がってきて、おもしろい車いすを作ったり、分身ロボットを開発している。車いすは姿勢が360度自由自在に動くものであり、乗ってみたいなと心の底から思った。孤独は暗いイメージがつきまとうが、孤独だったからこそオリィさんはプラスにしていったのだと思う。 >>続きを読む

人は紅葉のように生きる

今日から11月、またひとつ歳をとる日が近づいた。来年はどんな楽しい企画を立てようかと考えている。講演会を何度やっても、ヘルパーになってくださる人がこない。私は講演会をなぜやるかというと、ヘルパーやボランティアを集めるためである。だからこそ人がたくさん来る、おもしろい企画を立てなければいけないと思っている。 >>続きを読む

ヘルパーさんの離職者を減らすためには

カテーテルのことは今まで飽きるほど書いてきましたが、在宅の障がい者の看護をやっている看護師さんに来て頂き、カテーテルについてのミニ講演会をやって頂いたほうがよいかと考えて、我が家でおこなうことにしました。

真鍋さんは、2008年に私が悪性リンパガンになり入院した際に、「付き添いがいなければ病院を出ていけ」と言われたとき、ボランティアに来ていた人が紹介してくださった方です。そのときは時給700円で看にきていただいていました。入院中のケアをやってくださった方の中には、700円ではバイトにならないと辞めていく人もいましたが、仕事の合間をみつけて何度もお見舞いに来てくださった人もおり、誰もいない時間のすき間を埋めてくださいました。真鍋さんは自分の仕事があるにもかかわらず、私のところへ頻繁に来てくださいました。私が高い熱を出したときも、ペットボトルに冷たい水を入れて、わきの下・股・首などに置いて体中を手際よく冷やしてくださいました。そういう方々が何人かいたので、私はまだ生きていてこのブログを書けるのです。 >>続きを読む

障がい者のビジネスとは

 突然、札幌いちご会の副理事長である永島さんが事務所にやってきた。どんな用かと思って話を聞くと、永島さんが働いている『共働事業所もじや』で作った年賀状の印刷を、頼んでくださる人がいないか?というビジネスをしに来たのである。なかなか永島さんの書く字はステキであり、多くの人に年賀状を印刷してほしいと思う。

 「どういうところへ営業に行っているの?」と聞くと、「福祉関係をしているところかな。」と言っていた。私は「もっとこれからは幅広く、『社会貢献に協力してくださいませんか?』というビラをつくって、年賀状や名刺の印刷を頼んでみてはいかがですか?」と言った。

 私は若き日、色々な会社や学校や団体に足を運び、寄附金を集めた。「出ていけ!」と追い出されるところが多かったが、たまには真剣に聞いてくださり、お茶まで出してくださる人もいた。そのようにして寄付金を根気よく集めた、という話を永島さんに話すと、目をキラキラさせて「へぇーすごいなぁ。勉強になった。」と言ってくれた。障がいのない人が行っても、なかなか受け入れてくれない所でも、障がい者が行けば受け入れる会社があるということだ。「これから雪が降るから大変だね。でもがんばろうね。」と言うと、「はい!わかりました!」と元気よく答えてくれた。 >>続きを読む

明日に楽しみをみつける

北海道科学大学の診療放射線学科から講義の依頼があり、私は(放射線について何を講義できるかな)とちょっと迷ったが、よく私はレントゲン・CT・PETを受けているので、そのときの経験などを話せばよいと考えた。福祉の分野とは関係ないところから依頼がくることは嬉しいことである。医療に関わる人たちは病気のことはわかっているが、障がい者についてはわからない部分が多くあり困っている。あらゆる分野の医療者に障がい者の現状を教えることは、大変むずかしいことだ。たくさんの障がい者が4年に1回でもいいから、学生さんたちに自分たちが病院に行くとなにに困るかを話すことが、大切なのではないかと思う。 >>続きを読む

微笑みだけではなにも動きません

私は飛行機に乗ると元気が出ることを、またあらためて知った。飛行機から降りると、まったく別世界があり心が躍る。「飛行機が嫌いだ」と言って、機内で私の腕をがっちり握るヘルパーさんがいる。そんな時は「私がいるから大丈夫よ」と元気づける。高い所が大好きなんですよね。

徹子さんのお芝居が始まるのを待っているところです。アマンドという喫茶店で待っていました。甘いジュースで体の疲れをとっていました。ステキなお店でした。

 

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徹子さんの握手のパワー

 38年間、札幌いちご会と私を助けてくださっている黒柳徹子さんは、毎年私をお芝居に誘ってくださっており、今年も招待してくださった。しばらく行けていなかったので、(今年こそは行かないと徹子さんに私の顔を忘れられてしまう)と思い、行くことにした。

 カテーテルをしょって東京へ行けるかなと不安もあったが、妊娠8か月で東京での講演を頼まれた時のことを思い出した。「危ないから行けませんよ」と一度は断ったが、担当の先生が「大丈夫ですよ。東京へ行って大きなお腹を見せておいでよ。東京には優れたお医者さんがたくさんいるから大丈夫だよ。」と言ってくださり、その言葉に背中を押されて、私は行くことにした。

 悪性リンパ腫にかかった時も、1年後にはカザフスタンへ行ってきた。また医師に「先生、カザフスタンは遠いですよね。行っても大丈夫かしら?」と聞くと、「大丈夫大丈夫!小山内さんはね、好きなことをやったほうが元気が出るの。行っておいでよ。」とおっしゃってくださった。色々な薬を少しずつ出してくださった。先生たちは私の性格をよくご存知だった。 >>続きを読む